金曜日のノート

ある日、突然EXOに落ちました

「カート」から「ベテラン」に。2015年から2016年に。

カート(明日へ)

カート観ました。
最初にギョンスからのメッセージコーナーがあって、戸惑いつつ映画がスタート。
好きな子に待ち合わせ前に会っちゃったような気恥ずかしさね。なーに、あれ。
平日朝9時からの上映だったから、がらっがらの客席でしたが、それでもギョンスが登場すると客席から、「うふっ」みたいな声が聞こえてきました。
みんなすき、ギョンス。同感。

そう。そのギョンス。
ギョンスはテヨンという高校生の男の子役です
クラスで2人だけのガラケー所有者であり、給食費が未納で食べられなかったり、つまり家が貧しい。母親は大手スーパーのレジをしています。上司に気を遣い、サービス残業をしながら、小さなアパートでテヨンと小さな妹を養っています。父親は出稼ぎなのか、時々話題にだけ上がります。
いずれにしても、生活が厳しい。
母親はバイトから社員に雇用されるのを望んでいます。そうすれば、お給料が上がる。生活が楽になる。

そんなある日、母親が社員に雇用される話が舞い込みます。サービス残業をし、遅刻なし、模範勤務を続けてきたで結果がでたのです。
その晩、母親は嬉しくてついテヨンに、ガラケーからスマホへ買い替えてあげると約束します。家族3人の食卓にも、なんだか和やかな雰囲気が訪れます。

ところが、社員雇用の話から数日で、会社で大規模なリストラが決定されます。
パートは派遣に、正社員もいずれは契約社員にして、上層部は人件費をさらに削ろうとする。
リストラ決定も個々に説明があるわけではありません。もちろん、全体としても。ただ、紙一枚の告知のみ(たしか、社員番号の掲示だった気がします)
あまりの会社側の対応に、パート従業員の女性たちが解雇の不当性を訴えて立ち上がり始めます。
実際に韓国で起きた不当解雇事件を元にしてます。

ここから、物語がパート従業員対会社、パート従業員それぞれの人生、それによる抗議の上げ方の違いや苦悩、また家族たちへの余波までを描いていきます。

感想としては、ギョンスよい。よい。
目で語るギョンスが素敵でした。
演技しているギョンスの方がEXOのD.Oより自然体のように感じた。
ギョンスも誰かでいる時の方(役を得てる)が楽なんだろうか。
そう考えると、ちょっと悲しくもありますが。

エンディング曲もギョンスだったんだけど、くらっ!歌詞くらっ!

映画としては、ラストカットに疑問を抱き、音楽にはてな?となりまして、ちょいちょい引っかかるところはあったけど、俳優たちの安定感や物語の展開に終始目は離せなかったです。
あと、隣の人の号泣がすごくて、気押されてしまい、私自身うるっとさえ出来ずでした。

私は映画を見終えたあと、あるひとりの人物の言葉を思い出しました。
それは、アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンです。
奴隷制度廃止のため、リンカーン率いる北部と南部でアメリカは真っ二つに分かれ戦います。当時、南部の奴隷制度の恩恵を受けていた国では、この戦争により南部からの支給が滞り自分たちが飢えに苦しむ国も出てきた。それでも、リンカーンの奴隷制度廃止を支持し、リンカーンにも是非活動を続けるようにと、メッセージまで出した国がありました。その時に残したリンカーンの言葉、「世の中で家族や友人を超えてつながるものは働く人たちである」。
翻って考えたのは私は自分を含む、まわりの世界です。
もし、私が大量リストラに巻き込まれてしまったら、あのパート従業員たちのように闘えるか?闘おうと考えるか?リンカーンの言葉のように、働く人々として繋がれるだろうかって。
ああ。無理だ。私は戦う前に、横同士で比べてしまうだろう。

そういう事を考えながら、ぼんやり帰りの電車に乗りました。

「ベテラン」は次にまとめます。







smtとは。駅までの猛ダッシュ。

完全なる個人的、箇条書きメモです。


7月4日 smt 東京ドーム


年齢層が幅広くやや安心する。男性も結構いる。ご夫婦の方もちらほら。
エクソは女ばかりで若かったからなあ。
フナの中学生の頃が大スクリーンで映し出される。「ぼく、スターになります」に、悲鳴がすごい。私は、そこで心のキャーキャーが止まる。一瞬、冷や水ぶっかけられたような気分になった。もちろん、誰も悪くない。

チャンミンのスタイルと皇帝感が半端ない。
四国くらいの国すぐ統治できると思うほど。
目線をステージ降りるまで外さない感じとか、ドームを掌握する(できる)とはこういう事なのかあと。
スジュさん、安定感。ドームとか慣れてるなあ。グループで魅せるやり方を知ってる。エクソは小さく小さくなってしまってるのが。。。大丈夫かいな。うまいんだけどさ、見せ方?エクソはMVアイドルなんかしらん。ドームコンにもくもくと不安が起こったのは言うまでもない。
そして、エクソの衣装がまたダサい!!!!

カンタ先輩、かんた先輩。

特に印象的だったグループ。
ルーキーズとf(x)のクリスタルはダントツでした。
染まってない感がよい。なに染まってないか。smtに染まってない、アイドルに染まってないと感じです。
クリスタルの存在感が忘れられない。これぞ、一目惚れ。
ルーキーズは歌がのればどうなるのか。楽しみ。
シウミのサバがすごい。サバの衣装、歌詞。日本語訳、土佐弁入ってましたけど。
ジョンヒョンくんは歌がめちゃうまい。ソロで1番よかった。ルナさんも。
レイちゃん痩せたね。ほんとうに神経の使った人の痩せ方。
ベクとジョンデも素敵でした。ベクは細く高い歌声が安定していて、前より聴きやすい。美しい声。ジョンデは耳に優しく入ってくる歌い方。整い過ぎてて、私にはちょっと物足りなかった。ジョンデは癖のある曲でもよいかも。
あと、私のやや斜め前に、アンバーみたいなボーイッシュで化粧もオルチャンじゃない子、片方がオルチャンのレッベルみたいな、その女の子組み合わせが、新鮮で珍しくよかった。
スホリダのはじめの一歩「高倉健か!」って突っ込んだ俺。髪型に揺られるよね、あと衣装。がんばってよ、エクソスタイリングの方々。
ソシは完全なるお姉さん。テヨンとキーくんって似てるね。子犬ハスキー顔。みんな、好きになるのがわかる。抵抗できない。あの顔で笑いかけられたら、負ける。放棄。にしてもみんなほそい。スクリーンで観て、あの細さとは、実物はポッキーなんじゃないかと思うほど。

ほか、舞台中央の透明ケースが多様されていたんだけど、スクリーンに映し出された時にまあ傷が目立つ。あれかっこ悪い。
公演自体、4時間半近くありましたよね。記憶から飛んでしまって、ここに書き切れない尺。私はいろいろなグループを観られて値段にしては安い!って感心したのですが、もう少し公演時間を前倒するよう提案します。だって、3時から開始でも7時過ぎだよ。それから、ご飯食べに、飲みに繰り出してもいいじゃんって。多くの人が次の日出勤だろうし。お節介だけど、そう思います。

公演終わったら、駅までダッシュする切なさったらない!









そなえよ、東京ドームコンサートに思うこと。

なにはともあれ、ペンミ楽しかったですね。2日目には黒前髪セフナが降臨しました。わしわし。レイちゃんもますます好きになりました。ギョンスは友だちになりたい人ね。「ほとんど何も見えてない」とか、あんなにネームボードとか、声援とか上がりまくってて言える?どこまでも予想を超えてくるギョンス。最高です。

↑ここまでペンミ直後に書きかけで終わっていました。そしたら、あいや。タオタオの事があり、"なにはともあれ"が茶番に。

でも、まあ書こうと思っていた事が、あれから数週間経った今も消えていないので書きます。

今回のペンミで1番心に残ったのはカイくんのダンスでした。ダンスとファンサに見えてくるものに考えさせられました。カイペンでないけど、それは本当に正直に言える。

私はカイくんのダンスをライブでちゃんと見たことがなく、斜めだったけれど、肉眼で全身見える位置だったのは初めてでした。(だから、カイくんダンスに感嘆するなんて今頃かよ!という突っ込みには謝るしかないです。ごめんなさい)

カイくんのダンスは何ていえばいいのか。ダンスそのものの質が違いました。レイちゃんもそれはもうすごいのだが、技、職人という感じに対して(それもすごくすごく好き)、カイくんは個人が浮きだつのです。カイくんが意図するしないに関わらず、ひとりの人間としてのカイくんが出ている。だから、ほかのメンバーと馴染む感じでもなくて、その技術で引っ張るというのでもあまりない。孤立はしていないけれど。カイくんはグループに馴染んじゃいけないんじゃないかと思うほどでした。ダンスにおいては。

彼は生まれつきのダンサーで、いま、いる場所がたまたまEXOというグループで、その偶然がとても素敵で魅力的なんだけれど、もしEXOがなくても彼は踊っていたんだろう。すこし悲しくもあるが、それがはっきり分かった日でした。

カイくんのファンサが、また残るものでした。まず、じぃーとファンを見る。無言で。そして手を差し出したり、振ったりしてくれる。外見とか年齢とか関係なく、誰に対しても同じように。自分がEXOという人気グループで、さらにそこでも一目置かれている存在である事より、個人としてファンと向き合っているように感じました。個人でしか向き合えないような。キャーキャー言われてる状況にも定着していない。キャーキャー言われてるのが、嬉しいカイくんだったら、どんなに楽か。でもそれはカイくんでない。それを遠くから見るこちらは、なんだか寂しさも覚えました。またショックでもありました。しかしながら、EXOのカイくんはそれでこそEXOカイなんですよね。

東京ドームコンサートに関して、EXOには早過ぎるんじゃないか、ファンサに対応できるか等、心配の声が飛び交いましたが、もうそれはたぶんコンサートを数々見てきた人たちの意見であれば、そうなんだろうと思います。EXOが若いグループでコンサートの経験が少なければ、そうなるんだろう。

ただカイくんの踊りに関しては、私は見る側がもっと受けとめなければいけないものだと感じてしまった。"かっこいい"とかだけではなくて。ドームで巨大なモニターを通してではなく、彼の呼吸や、身体の音が伝わってくる距離で体験しなければいけないものだと思いました。それは会社の課題でもあるんだろうな。

私はウルロンから、あれよあれよという間にEXOにはまった。ウルロンのPVの完成度と、友人の言葉をかりるなら「EXOしかできないパフォーマンス」、カイくんのダンスを主として統制のとれたKと、それと拮抗するかのようなMの強さに惹かれてEXOを好きになった。メンバーたちそれぞれが完璧過ぎるほど完璧なのに、枠に収まりきらない。

EXOは乗りこんだ船だから、どこに行き着くかは私には決められません。また、苦楽をともにするみたいにも考えられない。私にとって、最大の魅力であったメンバーそれぞれのバランスも、また変わっていってしまう。

東京ドームコンサートが決定した時、EXOメンバーは一体どんな気持ちだったんだろう。最近そんな事をぼんやり考えます。

(画像はお借りしました)

コミベビの向こうは歓喜嵐の女の子と時々男の子

コミベビ、コミベビ。

春から異動して、通勤が片道1時間半になりました。長い通勤で「Call Me Baby」を繰り返し再生しています。山手線でも丸ノ内線でも、宙に浮くことも二度や三度じゃない有楽町線、中央線に地下深い大江戸線でもコミベビです。

私はEXO新曲が出ると、各国エクソエルの反応も楽しみにしていて、youで始まってtubeで終わるあれで、曲名+reactionで検索しています。すると、出るわ出るわ。海外ペンが待ちに待ったEXO新曲MVを初見の様子がアップされています。

全部はとても見きれないですが、でもアメリカ、フィリピン、シンガポール、メキシコ、ヨーロッパ圏フランス、イギリス、チェコとかあちらへん?。世界中エクソエルの歓喜の嵐が愉快です。英語圏だと当然英語で歌うパートで盛り上がるし、アジア男子の人気者は誰なのかも、ちょっとしたバロメーターになります。あと、男子?とおねえさまに人気あるメンバーね。

というわけで、今回はコミベビリアクション選手権をしてみました。

第6位

なんで、あぶらとり紙ぺたぺたから始まるんでしょう。男子3名女子1名というのも珍しい組み合わせ。男子、おねえさまにギョンスは人気。ねっとりと人気。あぶらとり紙。

第5位

またまたギョンスの男子人気が伺えます。すごいね。前にギョンスペンの男性が握手会で泣いているのを見たけど、なんなのか。セクシャルだけでなく、男子が憧れるものがあるんだよね。恐ろしくみんながかっこいいエクソの中で男子人気をかっさらうギョンスよ。

第4位

泣いてるよ。チャニョ。右の人、あなたが出て来て、絶叫して、ゔゔう。。って。大人の女の泣き方です。でも、ハッピーウィルスに泣かされる涙は宝石のはずだ。そして、うるさいから注意される大人の姿ね。こちらとしても涙を隠しきれない。

第3位

一見、美女ふたりで鑑賞と思いきや、リアクションの声が。。「おう」「アぉ」とかAVを見ている男性かのような低音のオンパレード。これは、こちらの方で制限かけさせてもらいます。エクソのみんなに見せられないっす。カイくんとか。まあ。だめだよね。超勝手な判断すけど。

第2位

迷いに迷った2位。青空の下、健康的なわ~きゃー。ギョンスの「baby girl」で目を閉じて寄りかかり合う所とか最高です。10代でEXOに出会ってたら、こんな風に楽しみたかったし、10代に戻りたいとかではないけど、本当に素直に思う。最後に登場するEXOに興味ない男子友だちも良い。平和である。こちらはEXOに見てほしい。

第1位

ご覧になった方はお分かりかと思いますが、メンバー最高ね。なに、この秘密基地感。壁のポスターに部屋の暗さ(エクソさん、エクソエル研究室アメリカ?ができてますよ)。左の彼女が、タオタオが登場した時に言う「ハレルヤ!!」。それを聞いていた私が「ハレルヤ!」でしたけど。もう、彼女の股間クイっと動作とか、冷静で癖あって、たまりません。キャーキャーじゃない、このエクソ観察会。2位の青空エクソと全然違うけれど、興味深い。こちらにもぜひ入りたい。ベクのアイラインも数ミリ単位で記録済です、きっと。1位の決めては、真ん中の黒フード彼女かなあ。一言もしゃべりません。微動だにしない。ダースベーダーかよ。手を組んで凝視です。それでも、それでこそのエクソが好きなことが手堅く伝わって来る。傑作です。 全体を通しては、シウミン、レイちゃん、タオタオは各国で熱狂的人気。カイくんのセクシーさも鉄板だとわかる。

日本、韓国のreactionは探せなかったんだけれども、私のリサーチ不足かお国柄なのか。言葉がわかれば、もっと解説できるのでしょうが、とにかくエクソ愛は共感できるものがありました。

さてさて、ファンミに行って来ます。黒フードで参りますね。

「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」彼女がいる。それは追いついては消えること。

岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」

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世田谷文学館で開催中の岡崎京子展に友人といってきました。以下は展示レポートでも岡崎京子論でもないです。足からず。

そもそも、岡崎京子にはまったのは、大学1年生くらいで、それから月日は刻々と流れたのに、やはり影響?を受け続けているという、十代の頃に宿したものは根深いというよりないです。

展示は、岡崎京子の年表から始まり、刊行作「東京ガールズブラボー」、「pink」、「恋ってどういうものかしら」などなどの原稿と、作品の解説。学生時代の投稿作品、プロ後のイラストのカットはアンナ・カリーナのように蠱惑的な女の子たち、アラーキーの肖像写真、ピチカートファイヴや他ミュージシャンの対談もありました。対談での言葉も漫画でのセリフのように、きゃぴきゃぴ感(この言葉は使用に耐えないのは知ってるがあえて)。

雑誌での連載や家族とのエピソード。お母さんがそれは美しくおしゃれで感心しました。さすがだなあと。アラーキーの写真もとても良い。作家本人が作品から抜け出てきたように錯覚します。

私は「リバーズ・エッジ」、「pink」、「恋とはどういうものかしら?」、「へルタースケルター」など、結構な代表作が好きですが、でも展示を見ていると、作品それぞれが記憶にありました。

私は東京出身でなく、それも合間って彼女には東京を感じます。都会、中心、ファッション、いわゆる東京に抱く感情だけでなく、人がたくさんいる土地の描写に東京を感じる。人口密度は高まると、空気は薄くなり、全体的に渇いてくるような。そんな東京を感じる。決していやではありません。

そして、岡崎京子の描く女の子が、やはり好きだと思いました。女の子という生きものが好きになります。自分が己として、突き進み、迷い、間違い、止まり、傷つけ、傷つけられ、愛し、愛され、結果何もなくてもべつによい。主人公たち、その個から滴り落ちた濃密な一滴は、やがて薄まり、いま、いまという時間の背景に溶け込んでいきます。光も影も地球の自転みたいに、その時々いる場所によって変化していく。

大事な事って、時間が経っても、どこか心に残るんだと信じているようなところが私にはあるのですが、岡崎京子の漫画を読んでいると、大事な事も大事な事として忘れていくのだなあと思ってしまいました。忘れてもよいのだと。

生理的、金銭的な言葉も岡崎京子の言葉に言い換えられると、とても楽。「お金でこんなキレイなもんが買えるんならあたしはいくらでも働くんだ」ー『pink』。

「トイレに散る赤をみてあたしは「ばらの花みたいできれいじゃん」と思った」ー『ねぇ、女の子って何でできてるの?』。これは生理中女子の数時間を描いた10p満たない作品の一節。生理時特有の憂鬱と、そういうときに思い出す昔クラスメイトだった潔癖性の女の子のエピソードが描かれています。私は共感よりも、最初にこれを読んだときにたぶん衝撃だったのでしょう。生理の時、頻繁に頭に浮かびます。

岡崎京子の漫画には、その世界と進んでいく物語の後ろに、いつも彼女の詩のような言葉が決定的にある。恋愛でも、SEXでも、ショッピングでも、女性、男性、フェチズム、家族。言葉が多いわけでなく、つぶやかれるように背景におかれている。 ちょっと、うつろな女の子の横顔と一緒に。

岡崎京子の不在。事故に合われてから、20年近く経ち、今回展示会に行って、彼女が51歳という事に驚きました。それからも女の子たちは生まれ続けていて。

現在の女子高生がよんだら、どういう感想を持つんだろうか。

岡崎京子と出会って、家族の単位も形も変わり、引越しを数回繰り返したわが本棚は蔵書整理で生き残った本のみがあります。もちろん、岡崎京子の漫画たちもいまもある。

私はいま、岡崎京子と出会った時に巻き起こった、自分のさまざまな感情の理由が少しずつわかり始めているように思っています。通り過ぎたから、きっともうすぐ忘れてしまうから、その前に蘇る記憶みたいな感じです。

展示を見終わったあと、私生活に疲れ気味で口数少ない友だちと駅までの道を歩きながら、私は岡崎京子の不在に東京の乾いた空を見上げるしかできなかったのでした。

EXOで「桐島、部活やめるってよ」キャスティングしてみた

Twitterをフォローさせて頂いている方が、「ギョンスは前田くん!!」と叫ばれていて、それに深く共感し、勝手にキャスティングしてみました。 EXOは人数多いから、こういうの愉しい。

( )は映画で演じた俳優です

映画部長 前田 (神木隆之介) ー ギョンス

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もと野球部 宏樹(東出昌大) ー カイ

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モテ帰宅部 竜汰(落合モトキ) ー ベク

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バレー部 風助(大賀) ー チェン

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桐島の彼女 リサ(山本美月) ー タオ

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宏樹の彼女 沙奈(松岡茉優) ー レイ

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バトミントン部 かすみ(橋本愛) ー セフナ

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バトミントン部 実果(下山くるみ) ー チャニョリ

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吹奏楽部 沢島(大後寿々花) ー スホ

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吹奏楽部 後輩 詩織(藤井武美) ー シウミン

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桐島 ー ルハン

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劇中での人物相関図

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キャスティングは当然、見た目や性格、勝手な妄想で決めました。なぜか、女子から配役が決まりました。しかもMから。やはりエクソは美しいので。

タオタオは「もぉ。むかつく」って桐島に怒る役です。タオタオしかできないでしょう。

レイちゃんは驚愕の女子力・色気で演じてほしかったから、あえて、かすみにぶっ叩かれる沙奈を選びました。

そして、男子三人、前田くん・宏樹・桐島も即決。

前田くんはギョンスの安定感とダークサイド。

宏樹ーカイくんは完璧だから。完璧なのに、完成されてないから。時々、寂しそうなところも。

竜汰はベクで。ずいっとベクで。(映画にまつわるエトセトラよ。)

かすみはセフナ。これは性格より見た目です。すぅと消えてしまいそうな、退廃的な美しさがあるから。あと何考えているか、わからないところも。

実果ーチャニョリは、いろんな人をよく見ていて情に厚そうなところで。その実果の気になる相手、風助はチェン。にこにこチェンじゃない根性のこぶしチェンで。

リーダースホさんは、やはりここでも部長です。後輩とかにばれてるのも愛しい。愛されていて尊敬もされてる。大後寿々花さんにスホ美似てる。

シウミンは、口数が多くないけど、要点をふまえているところで詩織。何でも知ってる詩織役。

ルハンはええと、お察しの通りです。 「桐島、部活やめるってよ!」の桐島が、映画の中でも登場せず、そんな不在の桐島にみんなが振りまわされるという、だから、それがルハン。

劇中では突然の事態を引き起こした桐島に激怒する、同じバレー部の部長もいたのだけど、なんとなく配役に決まらなかった。ルハンの脱退の時、その事態に対するメンバーの姿勢は、決して怒りではなかったから。本当のことはわからないんだけど、劇中の混乱がエクソメンバーと重なるとこもあり。「ルハン、エクソやめるってよ!」だったらと。でも、わたしには、やはりわからないままです。

つまりのところ、ギョンスに「こいつら、全員くっちまえ!」って叫んでほしい。そういうことです。

(画像はすべてお借りしました)

「ごめんね」じゃないよ青春。「桐島、部活やめるってよ」。

青春がひりひりである。 どの青春かというと、ドラマ「ごめんね、青春」でなく、「桐島、部活やめるってよ」です。 こちらは日本映画です。 ある郊外の高校を舞台に、クラスの頂点にいる桐島が、ある日突然部活を辞めたことで巻き起こる混乱、クラス内の格差、人間関係が描かれる。 かわいい女子に、パリコレ出場者の東出くんがいるクラスなんてあるわけないんだが、ふとした会話にひりひりする。

男子同士の「あいつも万能系じゃん」とか、どこかで聞いたような言葉があちこちに出てきます。これは、部活にも入らず、でも運動神経も悪くなく、勉強もそこそこ、運動部の男子とも対等に付き合っている帰宅部男子のセリフ。クラス内では、かなり優遇されている感じの男子なのに、"友だちは、部活も勉強も出来て彼女もかわいい、やはり自分とは別"と自らの中で区別している。ママチャリの後ろに二人乗りするくらい仲がいいのに!

体育の時のチームつくりの場面もこれまた。 クラスでいけている男子が、1人ずつチームメンバーを選んでいきます。当然選ばれないひと、"使えないやつ"と思われている人が最後まで残ります。 これ、いまでもあるのかな。なんか、本当にやってたら、いろんな所から苦情きそうだけど。

女子の会話もあーという感じ。 女子もいけてる男子と付き合っている、つまりいけてる女子グループが中心にでてきます。しかし、その中にも深い溝がある。一緒にいる=仲がいいは、高校生だろうが大人だろうが違う。まあ、それもあるんだが。一緒にいる=グループである。それは、グループとして社会で生きられる。なんとなく安心だから。 動物の群れも、個々で生きるより、団体の中で守り支える機能があるから成り立つが、人間のグループは、特に敵からは守られない。たぶん。だけど、グループは確実にある。そのグループに居続けるための気遣い、そこからふり落ちるかもしれないという不安の方が、グループでいられる利点より、はるかに苦しそうだと、映画を見ていて思いました。

女子は「ごめんね。大丈夫だよ。いや、なにがだけど」。自分を心配してくれた友だちに、お礼を言いつつ、続く言葉に「なにがだけど?」をいれてきます。「心配してくれてありがとう。でも、入ってくる必要もないから安心して」と。問題に焦点をあてず、事態を流していきます。 会話や関係を決して発展させない。深めない。 とにかく、みんなすごく気をつかって生きている。そして、うんざりなほど、めんどくさそうである。

ゔぅ。前田くんの属する映画部は踏んだり蹴ったりの扱いです。でも彼らが1番、クラスのグループの波に遠いところにいるから、冷静に頂点に立つものを斬ってきます。あと、根暗もすごい。愛すべきディス。

私自身こんな高校生生活は送りませんでしたが、どこか既視感のある映画です。

桐島、部活やめるってよ朝井リョウ原作、2012年吉田大八監督作品。

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(画像はすべてお借りしました)